シェイクスピアの名台詞〜Memorable Speeches from Shakespeare〜

この世は舞台、ひとはみな役者。
All the world's a stage
And all the men and women merely players.
作品解説
『お気に召すまま』2幕7場


このことばは『お気に召すまま』の辛口の批評家ジェイクイーズのやや斜に構えた台詞なのだが、作品から抜け出してひとり歩きしている。それも分らないではない。何故なら、この台詞に秘められた考えは、「世界劇場」(theatrum mundi)といってシェイクスピアの時代の主要な思想のひとつなのだが、シェイクスピアはその思想のエッセンスを実に的確かつリズミカルに表現しているからだ。(「世界劇場」については世界劇場問答世界劇場だより'Totus mundus agit histrionem.'の項を参照)

現代は劇場型社会と言われている。だからといって「この世は舞台」の精神が生きているとは思えない。これは重要な問題なので、考えてみよう。

シェイクスピアが自分の作品を上演した劇場は芝居小屋の形態をなしていたが、ほとんど野外劇場だった(屋根は特等席を除き付いておらず、雨が降れば観客は濡れた)。舞台の上に装置(大道具)はほとんどなく、照明は太陽光だった。客は舞台を半円形に囲むようにして劇を楽しんだ。特権階級の客は役者と同じ舞台の上に坐ることもあった。こういう環境ではことばが非常な威力をもった。詩が生きていたのだ。劇は観るものではなく、聴くものだった。聴くことを通して想像することが劇場での主要な楽しみだった。役者のことばから聴衆はいろいろな世界をこころの眼で観た。木造の円形の劇場に何万もの軍勢を収容することができた。そういう客からの働き掛けなしに劇は成立しなかった。劇場は想像力の共同体だった。だから、舞台はここであると同時にあそこでもあるという離れ業をやってのけられた。つまり、この世界が舞台であるように、舞台が世界そのものだったのだ。

しかし、シェイクスピアの晩年から始まった新しい演劇の流れは王政回復期には決定的なものとなり、そのまま現代に至っている。その流れとは「聴く」劇から「観る」劇への移行だ。所謂スペクタクル演劇が主流となる。当然、劇場も屋根を戴いた密閉された空間となり、照明装置も付き、客席の形態も舞台を半円形に囲むものから、現代のほとんどの劇場と同じ、舞台と対面するものとなって、観る劇を助けた。こうすることで客は何にも邪魔されずに、眼に映るものをそのまま現実と見なすことができるようになった。舞台上の世界の作り方が厳密になったといえるが、客の自由な想像を拒む装置が次々と考案された分、想像力が入り込む余地は減り、舞台世界への参加は拒まれて行った。

現代は劇場型社会という時、モデルとなっているのはこういうスペクタクル演劇のための劇場である。そこにシェイクスピア劇の登場人物たちが抱いている「世界劇場」の共通感覚はみるべくもない。

かくして聴衆は観客となり、想像の共同体は傍観者の群れとなった。だから現代人はいつまで経っても「この世は舞台、ひとはみな観客」の思想から抜け出せないでいる。そういう意味で、劇場が社会で果たす役割は大きい。劇場は世界のひながただからだ。


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