じゃじゃ馬ケイトと結婚することになったペトルーキオは、最初の出会い(見合い?)の時からすでに始めていた作戦を、結婚式でも実践する。晴の式に大幅に遅れただけでなく、新郎として場違いな出で立ちでやってきたのだ。新婦の父親ばかりか周りの者たちも、服を着替えるように勧めるが、頑として聞き入れず、その理由としてこの台詞を言う。
彼のじゃじゃ馬ならし作戦にははっきりとした主義があった。それは、共有だ。食事をさせない、眠らせない、贅沢な服を着させない、この3つが作戦の中心だが、新妻ケイトにだけこの苦しみを強いているのではなく、自分自身でも同じ苦行に耐えているのだ。こうした共有は苦しみだけに留まらず、ことば遊び、芝居ごっこにも拡がって行く。その点で中世以来民衆に人気のあった、ただ暴力に訴えるだけの《じゃじゃ馬ならし》文学と一線を画する。
彼は自分の作戦を次のように要約している。
手に負えないじゃじゃ馬は、やさしさで絞めていくのさ。
This is a way to kill a wife with kindness.
もちろんここで彼が言う「やさしさ」は皮肉な意味合いのものだが、彼自身は粗暴な言動とは裏腹に、たくましいやさしさとも言うべきものを持っている。そのやさしさがじゃじゃ馬をならしたと言える。
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