シェイクスピアの名台詞〜Memorable Speeches from Shakespeare〜

私の愛は、見た目とは逆に、以前より強くなっている。
弱々しく見えたとしても、弱くなったわけではないのだ。
My love is strengthened though more weak in seeming,
I love not less, though less the show appear,
作品解説
『ソネット集』102番


My love is strengthened though more weak in seeming,
I love not less, though less the show appear,
That love is merchandized, whose rich esteeming,
The owner's tongue doth publish every where.
Our love was new, and then but in the spring,
When I was wont to greet it with my lays,
As Philomel in summer's front doth sing,
And stops her pipe in growth of riper days:
Not that the summer is less pleasant now
Than when her mournful hymns did hush the night,
But that wild music burthens every bough,
And sweets grown common lose their dear delight.
Therefore like her, I sometime hold my tongue:
Because I would not dull you with my song.

私の愛は、見た目とは逆に、以前より強くなっている。
弱々しく見えたとしても、弱くなったわけではないのだ。
愛を売り物として扱い、高い値札で
宣伝する売り手といっしょにしないでくれ。
ふたりの愛がまだ始まったばかりで初々しかったときには、
たしかにあふれる思いを歌ったけれど、
ナイチンゲールだって夏のはじめはしきりに歌っていても、
実りの季節が近づくと歌うのをやめてしまうじゃないか。
今は深い夏、その忍びやかな喜びが
悲しげな鳴き声で夜を静まらせた初夏より劣るわけじゃない。
ただ野暮な歌声に加わるまねはしたくないのだ。
どんな喜びもありふれてしまっては味わいを失う。
 だからあの鳥同様、私もときには静かになるのさ、
 へたに歌って君をつまらなくさせたくないからね。

仮に87番でマーロウの劇団へ移ったとするなら、この詩に歴史の皮肉を読みとることができる。1593年、マーロウは居酒屋の支払いをめぐるもめごとに巻きこまれ29歳の若さで殺されている。主を失った少年役者はふたたびシェイクスピアの劇団へ戻るしかない。シェイクスピアも気持を切りかえてふたたびやり直す静かな決意をする。何の根拠もない読みだが、ふたりの関係を生々しく思い浮かべられるという利点はある。

歴史的な詮索はさておき、このソネットのシェイクスピアはこれまでと打って変わって冷ややかだ。愛する気持は強くなった口では言っているが、凄惨な復讐の神話に由来する鳥フィロメルを引きあいに出すことそれ自体、美青年への屈折した思いのあらわれではないだろうか。

思い出してみよう。シェイクスピアは美青年に対してあるときは恋人のように、あるときは偶像のように、あるときは腫れ物に触るように接してきた。持ち前のやんちゃな気まぐれで道を踏み外したときでさえ、シェイクスピアは父親にも似た無償の愛でやさしく包んだ。ところが今はどうだろう。つきものが落ちてしまったような冷めたもの言いだ。特に最後の2行連句からは捨て台詞にも似た皮肉と自嘲の響きが聞こえる。


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