My mistress' eyes are nothing like the sun,
Coral is far more red, than her lips red,
If snow be white, why then her breasts are dun:
If hairs be wires, black wires grow on her head:
I have seen roses damasked, red and white,
But no such roses see I in her cheeks,
And in some perfumes is there more delight,
Than in the breath that from my mistress reeks.
I love to hear her speak, yet well I know,
That music hath a far more pleasing sound:
I grant I never saw a goddess go,
My mistress when she walks treads on the ground.
And yet by heaven I think my love as rare,
As any she belied with false compare.
私の彼女の目は太陽みたいなんかじゃない。
唇だって珊瑚の方がずっと赤い。
雪の色が白いなら彼女の胸は褐色だ。
金糸の髪などというが、彼女の頭にあるのは黒糸だ。
紅白まだらのバラを見たことがあるが、
彼女の頬のどこを探してもそんなバラは見つからない。
香水の中のいくつかは
彼女の息よりずっといい。
彼女の話し声は大好きだ。でも正直な話
音楽を聴いてる方がもっと楽しい。
女神が歩くようだなんて見てきたように言う奴がいるが、
私の彼女はごく普通に歩いている。
でも、誓ってもいい、私の好きなひとは最高だ。
いつわりの比喩で飾り立てた女とは比べものにならない。
これはかなり挑戦的、かつ挑発的ソネットだ。ペトラルカの伝統に則った大げさな比喩をあざけるように真正直な描写を並べ、最後の最後でどんでん返しをねらっているのだが、果たして成功したろうか?こういうケレンでは愛人への並はずれた愛を強調するというよりむしろ、嫌悪感の方を印象づけてしまったのではないだろうか。少なくとも黒い貴婦人が誰もがこぞって認めるような美人でないことは決定的になった。いや、それもシェイクスピアのねらいだったかも知れない。というのも、ここで「いつわりの比喩」と皮肉った比喩を美青年をたたえるソネットでは堂々と使っているからだ。そこに愛と憎しみ、惑溺と反撥を抱きあわせた両面の感情を読み取るなら、黒い貴婦人に対するシェイクスピアの思いはおのずから明らかだろう。
それにしてもシェイクスピアは劇作品で様々な「黒い貴婦人」を登場させている。ロザリンド(『恋の骨折り損』)、カタリーナ(『じゃじゃ馬ならし』)、ヒーロー(『空騒ぎ』)、フィービー(『お気に召すまま』)、クレオパトラ(『アントニーとクレオパトラ』)などである。こうして並べているうちに、もしかすると『ソネット集』そのものが現実めかして書かれた巧妙な作り物かも知れない、そんな思いが湧きあがってきた。それこそシェイクスピアの得意技なのだから。
Copyright (C) 2003 戸所宏之 引用の際はURLの表示をお願いします