シェイクスピアの名台詞〜Memorable Speeches from Shakespeare〜

何度見たことだろう、晴やかな朝、
神々しい光が山の頂をくすぐり……
Full many a glorious morning have I seen
Flatter the mountain-tops with sovereign eye....
作品解説
『ソネット集』33番


Full many a glorious morning have I seen
Flatter the mountain-tops with sovereign eye,
Kissing with golden face the meadows green,
Gilding pale streams with heavenly alchemy;
Anon permit the basest clouds to ride
With ugly rack on his celestial face,
And from the forlorn world his visage hide,
Stealing unseen to west with this disgrace:
Even so my sun one early morn did shine
With all triumphant splendour on my brow;
But out, alack! he was but one hour mine;
The region cloud hath mask'd him from me now.
Yet him for this my love no whit disdaineth;
Suns of the world may stain when heaven's sun staineth.

何度見たことだろう、晴やかな朝、
神々しい光が山の頂をくすぐり、
黄金の顔が緑の草原にくちづけしたかと思うと
天の錬金術でほの暗い小川を金色に変えるさまを。
かと思うと、すぐさま低く垂れこめた雲があらわれ
みにくい塊で聖なる面をおおい、
見すてられたこの世の人々には二度と顔を見せないまま
むざんな姿でひそかに西に沈むさまも見せつけられた。
それとおんなじだ、私の太陽もある朝早く
勝ちほこった輝きで私の額を照らしてくれたが、
私のものだったのはたった一時、
いまはもう雲のかなたに身を隠している。
 でも、だからといって私は愛する彼を見限ったりはしない、
 この世の太陽も曇ることはある、天の太陽だって曇るのだから。

シェイクスピアが宝物のように大事に育ててきた美青年との友愛だが、ある女のこころない仕打ちによって亀裂が生じる。あろうことかシェイクスピアの愛人である「黒い貴婦人」が美青年を誘惑し、若者も若者で、彼女がシェイクスピアの愛人と知りつつその誘惑にうかうかと乗ったのだ。

シェイクスピアの「黒い貴婦人」に対する執着心は恋心とは縁もゆかりもない肉慾にもとづくもので、それゆえ彼女への感情はたやすく嫌悪へと変わる。大事な友を誘惑した女は「下劣」(basest)で「みにくい」(ugly)女であり、そんな女の誘惑にはまった美青年は「不名誉」(disgrace)にも「けがれて」(stain)しまったと言える。

こうした最大級の侮蔑があびせかけられているにもかかわらず、このソネットは奇妙な明るさにつつまれている。まだ雲よりも太陽の方が力をもっているように見える。特に出だしの句があまりにも美しい。ことばの錬金術はいたるところにあふれ、取り返しのつかない重大なあやまちも、しごく軽微なものであるかに見せる。かくして裏切られた悲しみは忘れ去られ、青年の裏切りはいとも簡単にゆるされる。結句の、太陽だって曇るんだから、まッ仕方ないか、と言わんばかりの能天気ぶりを見るとこっちの方がはらはらしてしまう。


Copyright (C) 2003 戸所宏之 引用の際はURLの表示をお願いします

inserted by FC2 system