シェイクスピアの名台詞〜Memorable Speeches from Shakespeare〜

さようなら。君を引きとめておくだけの甲斐性が、私にはない。
Farewell! thou art too dear for my possessing,
作品解説
『ソネット集』87番


Farewell! thou art too dear for my possessing,
And like enough thou know'st thy estimate,
The charter of thy worth gives thee releasing:
My bonds in thee are all determinate.
For how do I hold thee but by thy granting,
And for that riches where is my deserving?
The cause of this fair gift in me is wanting,
And so my patent back again is swerving.
Thy self thou gav'st, thy own worth then not knowing,
Or me to whom thou gav'st it, else mistaking,
So thy great gift upon misprision growing,
Comes home again, on better judgement making.
Thus have I had thee as a dream doth flatter,
In sleep a king, but waking no such matter.

さようなら。君を引きとめておくだけの甲斐性が、私にはない。
それに、君は自分の市場価格を十分知っていて、
価値あるものの特権を使い好きなところへ行こうとしている。
君と結んだすべての契約は抹消されたのだ。
譲渡証書がないんだから君を手放すしかない。
君みたいに高価なものは私には値しない。
これほどの贈与を受けとる理由が私にはない。
だから、排他的所有権は君に返すしかない。
君ははじめ自分の価値を知らずに、私のものになったのだ。
それとも、君は私を買いかぶりすぎていたんだ。
誤解に基づいておこなった譲渡だから
誤解と気づけばすべて無効だ。
 君といっしょにいられたのは夢だったってわけか。
 だから眠っているうちは有頂天でも、目が覚めればもとの木阿弥。

とうとう別れがやってきた。美青年は今まで尽くしてきたシェイクスピアに対してFA宣言をしたのだ。裏には対抗馬の詩人の影が透けて見える。ワイルドの説を信じるなら少年役者はマーロウの劇団へ移籍してしまったのだ。愛しいひととの間を引き裂かれ、身悶ええしながらあげる悲痛な叫びが聞こてくる。このソネットは、自分を卑下して相手を讃える恋歌として見られなくもないが、奇妙に切迫した調子や、契約に関することばの多用などから、これは愛の歌の常套手段を利用して打算の愛を皮肉ろうとしたものだろう。そうすることでしか恨みつらみのやり場がないのだ。しかし、こうした打算に基づく愛はもはや愛とはいえない。まるで美青年までもが黒い貴婦人に汚染されてしまったかのようである。

シェイクスピアは愛人の黒い貴婦人に美青年を誘惑されて苦しんでいた。それでもじっと屈辱に耐え、二人でこの女性を共有するというあやうい三角関係を保つことで、かろうじて煮え湯を飲まずに済んできた。しかし、今度は対抗馬の詩人に美青年を奪われてしまった。しかも、美青年からはやんちゃなふしだらや気まぐれがすがたを消し、したたかな打算ばかりが目につくようになった。まるで黒い貴婦人が乗りうつったかのようだ。なんだかこのソネットを読むとシェイクスピアの精神がこわれてしまったかの印象を受ける。


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