シェイクスピアの作品には「時」に関するおもしろい表現がたくさん出てきます。上のメタファー(隠喩)は『間違いの喜劇』からの引用で、その意は、「時」は向う見ずに手形を発行しているが(=ひとにあれやこれやの期待、希望、夢を抱かせるが)、その返済の時がやってくると(=夢を実行しようとすると)、とても返済できるだけの財産はない(=夢は実現不可能な)ことがわかる、だから「時」は破産者、というわけです。
この一種格言じみた言い方には、「所詮そういうものさ」という諦めに似た響きが感じられますが、その諦念を裏書きするように「時は盗人、お尋ねもの」ということばが上の引用に続いています。
では「時」の例をもうひとつ。
「時」は背中に頭陀袋をしょっている。
(Time hath a wallet at his back.)
ここにも苦い思いが込められています。というのもこの袋は善い行いが放り込まれる忘却の袋だからです。『トロイラスとクレシダ』では、このことばに続いて「時は忘恩の怪物だ」とすっかり悪者にされています。しかし、人間の真実をずばり言い当てていることは確かです。
話がくらくなったので、少し「あかり」を。
「時」のじいさんの頭はハゲだ。
(Time himself is bald.)
少なくとも、後はハゲていると考えられていました。「時は前髪でつかめ」(Take time by the forelock.)という諺にはそんな滑稽なイメージも隠されています。
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