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肥り肉(ふとりじし)ゆゑ息が切れう。
   (He's fat and scant of breath.



 この台詞は、シェイクスピアのある作品を坪内逍遙が訳したものです。母親が息子を気遣って言う台詞ですが、この「肥り肉」の男性とは誰でしょう?もう少しヒントを出しましょう。この男性は剣の試合の最中です。しかし、剣の腕前を競う試合のはずが、試合用の剣ではなく、猛毒を塗った真剣で切りつけられ、命を落とす羽目に....
 もうお分かりでしょう。ハムレットが「肥り肉」の男性なのです。原文を見ても‘fat'となっています。
 「あのハムレットが太っていた!」
 ちょっとびっくりしたのではありませんか。坪内博士も大いに頭を悩ませたに違いありません。
 この箇所は長い間、シェイクスピアの学者だけでなく、役者、そして、読者を悩まし続けてきました。しかし、現在この‘fat'を「太っている」と解釈する学者はありません。ハムレット像を決定付ける意味の劇的(!)変化に一役買った出来事がありますので、紹介します。
 1924年のはじめ、オハイオのウスター大学の授業で『ハムレット』を読んでいました。ちょうどこの箇所になった時、この台詞の意味に関してまだ満足のゆく解釈がないことを告げると、ある女子学生が「これは〈汗をかいている〉という意味ではないでしょうか」と発言しました。教授がその斬新な解釈の根拠を尋ねると、こんな話を始めたのです。
 ....前の年の夏、友人数人と車でウィスコンシン州の田舎を旅行していた時、あまりの暑さに通りかかった農家で水をもらおうとすると、そこの奥さんが汗だくの私達を見て、‘How fat you all are!'と言うのです。突然そんなことを言われて面食らいましたが、いろいろ訊いてみるとどうやら「汗をかいている」と言っていることが分かりました。....
 方言に残された古い意味が重要な発見を齎してくれたと、教授は知人にこの出来事を触れて回りました。ただ、このことを公にしたのが1927年だったため、新解釈発見の功は得られませんでした。著名な学者が1925年7月号の学術雑誌に‘fat'は「汗をかいていること」であるという説を既に発表していました。
 それ以来です、ハムレットが太っていなくてもよくなったのは。 


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