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脚韻(rhyme)



I know a bank where the wild thyme blows,
Where oxlips and the nodding violets grows.

(『夏の夜の夢』より)

 漢文で漢詩を習ったことのある人は韻と聞けば五言絶句等で偶数行の最後に来る語の音のことを思い出すでしょう。ところが日本文化には韻の伝統がありません。文化伝統にないというのは哀しいもので、文字を見て判断するならまだしも、耳で聴いて韻を味わうことができないのです。試しに、上の台詞を読んでもらって韻を聴き取ってみてください。
 すぐに聴き取れた人はかなり訓練された耳の持ち主と言えます。以前、学生劇団でシェイクスピアの『夏の夜の夢』を原語で上演したとき、イギリス人女性に発音トレーナーをやってもらいました。この劇にはシェイクスピア初期作品の特徴で脚韻が頻出します。あるとき稽古の後で「役者の英語の発音はあまりよくないが、韻はちゃんと聴き取れるか」と訊くと、「もちろんです。だれがやろうとそれがシェイクスピアの楽しい所だ」という答が返って来ました。これには少なからぬカルチュラル・ショックを感じました。
 授業でも意識的に韻を聴き取る訓練を取り入れているのですが、韻が続く場合はまだいいのですが、韻が一行交代に現れる交互韻の場合はほどんど絶望的です。行の最後が判らないので韻を覚えておけないのです。ところが、驚いたことにそのイギリス人は韻があるから、そこが行の最後だと判ると言うのです。嗚呼!
 


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