間違いつづき

シェイクスピア台詞集〜7


Antipholus of Syracuse:
I to the world am like a drop of water
That in the ocean seeks another drop.
Who, falling there to find his fellow forth,
Unseen, inquisitive, confounds hiluself.
俺はだだっぴろいこの世じゃ、まるで海に落ちた片割れを探し回る水滴みたいなものだ。あとを追って飛び込んだものの、誰にも気付いてもらえず、どんなに探し回っても、ただ海に溺れて自分を失うだけだ。
(「間違いつづき」一幕二場)

 シェイクスピアが謂わば習作時代に書いたとされるこの作品には、なんと双子が二組も登場します。それぞれの双子は航海の途中で嵐に遭い、離れ離れになり、兄弟探しの旅に出て、ひょんなことから同じ町にやって来ます。そこからこの劇は始まるのですが、そのことを町の住人も、また、本人達も知らないため、町中上を下への大混乱です。最後に二組の双子が出会うことで混乱は収り、めでたしめでたしとなる、どちらかと言えばどたばた喜劇なのですが、上に挙げたような天才を感しさUる詩をすでに書いています。
 当時、大宇宙は球体としで認識されていました。地球も球です。「この世」はこういった大きな世界を意味します。それに比べ自分は海に呑み込まれれぱ見分けもつかなくなるちっぽけな水滴(あるいは一粒の涙?)にすぎない。同じ球体かもしれないが、この絶望的な違いはどうだろう。そんな思いが聞こえてきそうな台詞です。
 ルネッサンス時代、比較すること(analogy)は真理発見の重要な手段のひとつでした。大宇宙の球と水滴の球、みことな対比がここにあります。しかも、単なる観念の遊びとしての対比てはなく、絶望的な状況にぴったりと当てはまる表現をシェイクスピアは見つけました。

 海に呑まれ、自己を失う不安を語ったのと同じ人物が、恋する女性に向うと‘Sing siren for thyself,and I will dote'(魔力を持ったサイレンよ、あなたのために歌ってください、そうすれば、私は恋に溺れよしよう。三幕二場)と、海と同化することを自ら求めます。サイレンはローレライのような魔物で、その歌声は船を沈没させたといいます。
 この劇では「溺れること」が重要なテーマです。


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