空騒ぎ

シェイクスピア台詞集〜16


Don John:
I had rather be a canker in a hedge than a rose
in his grace, and it better fits my blood to be
disdained of all than to fashion a carriage to
rob love from any.

ドン・ジョン:兄貴の贔屓を受けて咲く薔薇でいるより垣根に咲く名無し草でいる方がましだ。振る舞いに気を遣って人からよく思われるより、みんなから蔑まれているほうが性に合っている。(『空騒ぎ』一幕三場より)

『空騒ぎ』はシェイクスピア中期喜劇の傑作ですが、喜劇群の中では特異な性質を持っています。それがドン・ジョンの登場です。ジョンは社会からのはみだし者です。『リア王』のエドモンド、『オセロオ』のイアーゴー同様、無秩序、混乱への衝動に突き動かされて生きており、それが人々に災いをもたらすのですが、舞台の上ではその逸脱ぶりがたまらない魅力になります。

ジョンは世界を裏返しに生きる人間です。おかげで世界は引き締まり、絶妙な奥行きを得(世界のバランス感覚とでもいうのでしょうか)、陰の暗さが陽の世界を一層輝かせることになります。

そんな陽気さの中で、それまで喧嘩相手だったベネディックとベアトリスを恋人同士にしてしまう計画がもちあがり、実行され、二人は相手が自分に恋しているという噂を真に受け、恋に落ちてしまいます。

楽しい恋の遊戯ですが、二人は恋の罠へと「だまし」込まれたのです。ここにジョンの影が見て取れます。

ジョンはジョンで密かにもう一組のカップルの仕合せを台無しにするたくらみを実行に移します。やはり、ありもしない「噂」が巧みに用いられています。

こうしてメシーナは浮かれ騒ぎから一転して、重苦しい気分に包まれますが、その重さはありもしないことを真に受けて生まれた謂わば負の重さとでもいうべき不思議な逆説的気分です。その気分の中でクローディオは自分を裏切った(と思い込んで)恋人に向って次のようなジョン風の訣別の辞を投げつけます。

But fare thee well, most foul, most fair!Farewell,
Thou pure impiety and impieous purity!
(さようなら、最も醜く、最も美しい人、さようなら、清純な罪人、罪深い純潔。)(四幕一場)

ジョンが逆説の闇を背負っていなければこの劇はふ抜けになってしまいます。ケネス・ブラナーが監督した映画のキアヌ・リーブスのジョンがその一例です。


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